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2015-01-15 (Thu)

一度知った女の体は忘れられない告白

 今日は面白いテレビやらないなーと、俺は後ろから新聞を読む。新聞の中ほどに地方面があって、紙面の下のほうに見覚えのある名前を見つけた。○○美代子…高校1年の終わり、お互いの裸を見て興奮していた。雑誌のHow to sex の特集を見ながら、ぎこちない前戯をして自販機で買ったスキンを装着した。

 ゆっくり挿入するがうまくいかず、入ったときは一気にグリュッと入った。何度も美代子の名前を呼びながら腰を振ったが、きっと美代子は痛かったに違いなかった。高校を卒業する頃には、アヘアヘ感じるくらいお互いセックスが上達していた。安全日には生挿入で膣外射精もしていた。


店頭では買いずらい「大人のおもちゃ」をAmazonで・・♪

 進学する大学が別々だったので、大学を卒業したら再会しようと将来を約束して別れた。一度女を知った俺は、女無しではいられず、覚えたての快楽を楽しむ女子大生のセックス、

 初々しい生娘の性を味わう女子高生とのセックス、バイトの大学生をつまみ食いするOLとのセックス、さらには人妻の玩具にされるセックスを楽しんで、卒業して地元に就職した。

 4年間のうち、美代子とは帰省が重なった時に会って4~5回セックスしてたが、2人が地元に戻って交際が再会すると、始終しょっちゅうハメるようになった。大人の玩具を買ってきて美代子を狂わせたり、8ミリビデオでハメ撮りしたり、スケベ三昧で愛し合っていたが、24歳の時、美代子が、

「ねえ、いつになったら結婚しようか。」
「まだ24だよ、早くないか?」
俺はまだ24歳だったが、美代子にとってはもう24歳だった。当時は、女性は既に結婚適齢期に入った年齢だった。したがって、
「私、お見合い話があるの…」

「行けばいいじゃん。」
「本当に行っていいの?」
急に美代子と連絡が取りにくくなり、会うインターバルが次第に長くなった。そして3ヵ月後、興信所の人間が俺を訪ねてきて、美代子との手切れ金100万円を持ってきた。

 そして、今後一切美代子に近付かないこと、美代子との過去を口外しないことを約束した書類に記名し拇印を押させられた。平成6年のやたら暑い7月中旬、俺は8ミリビデオテープを1斗缶で燃やした。美代子との愛の記録が真っ黒い煙に消えた。

 俺にも見合い話が舞い込んで、無気力なまま会った。大人しくて真面目そうな女で、見た目は一応整った顔をしており可もなく不可もなく、女性の諸元は短大を出て家事手伝いの22歳だった。2人きりにさせられたとき、失ったものを補うようで申し訳ないので恋人と別れたばかりだと正直に言って、女性側から断ってくれるようお願いした。

 ところが断られなかった。結局交際することとなり、半年後、肌を合わせたら生娘だった。覚悟を決めて結婚した。激しく燃える恋愛結婚ではなかったが、結婚してから嫁が素敵に見えてきた。

 家事育児をマメにこなし、夫の性的欲求に喜んで応えた。どんなに淫らな欲求も拒まず応じるのが嫁であると思っており、妊娠している時には尻穴で夫の精液を受け止め、倦怠期に提案したハメ撮りやSMも嫌がらなかった。

 17年間、夫の性欲を受け止め続けてくれた、とても愛しい嫁だと思う。おかげですっかり女陰がドドメ色になった。嫁に尽くされて、美代子のことなど忘却の彼方へ忘れ去っていた先日、新聞で見つけた○○美代子の住所はやっぱりあの美代子だった。

 ○○は旧姓、美代子は離婚したのか?いや、それよりも問題なのは、それが黒い縁取りに囲まれて掲載されていたことだった。昔愛し合って、将来の約束まで交わした美代子にお別れを言いに行きたかったが、俺は美代子に近付いてはならない約束になっていたことを思い出した。

 美代子の告別式の日、俺は黙って曇天の空を見上げた。微笑んで手を振る美代子が浮かんだ。そして、お見合いの事を話す哀しげな美代子が浮かんだ。やがて、涙雨に霞んだ・・

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最終更新日 : 2019-11-05

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