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2023-03-01 (Wed)

還暦を迎えても肉棒勃起の維持を望む日々

 結婚して29年、3歳年下の嫁は53歳になったが、今でもとても可愛い。なにせ嫁は短大時代、地元自治体のキャンペーンレディのミス○○をしていたくらいだから、田舎の地方都市では素人離れした可愛い女の子だった。

 キャンペーンレディの任期1年を終えた後、嫁は地元のタウン誌で見事な水着姿を披露し、可愛い顔立ちも似ていたことから、地元○○の宮崎美子と呼ばれていた。


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 当時Uターン就職で地元に戻ってきていた俺も、嫁のファンの一人だった。でも俺は、嫁より10歳年上の宮崎美子に嫁を重ねていたわけではなく、嫁がAV女優伊の立原友香にソックリだったからファンになった。

 4年間東京にいて、綺麗な女に目が肥えていた俺だったが、嫁の可愛さには心奪われた。俺は、当時付き合っていた女子大生と、郊外にある少しばかり特殊なラブホに通っていたことがあった。

 そこは、ライトなSMを楽しめるラブホで、縄で緊縛する技術が無くても、簡単い拘束できる道具や椅子があった。衛生上、備え付けのディルドなどの淫具はなく、

 持ち込むか自販機で購入するシステムで、俺は、股を開かせた女子大生のクリを剥き上げてローターで責め抜き、潮を噴かせたり、マンコをバイブで穿って白目剥かせたりしていた。

 その郊外のラブホで、俺は嫁がラブホから中年男と出てくるのと何度かすれ違ったことがあったが、しばしば会うのでお互いチラ見しながらすれ違っていた。

 やがて、俺が付き合っていたうら若き女子大生は、学生の恥はかき捨てとばかりに、俺と淫乱遊戯を楽しんで、卒業して地元に帰っていった。

 きっと、マゾ快楽なんて知りませんみたいな顔で、OLやっていたのだろう。丁度そのころ、俺は会社で商工会のイベントを担当させられて、まあ、女子大生の彼女も地元に帰っちゃったし、暇だからいいかと休日返上で働いていた。

 そこで、嫁とペアを組むことになったのだ。○○の宮崎美子・・・いや、俺にとっては○○の立原友香が目の前にいてドキドキだった。

 しかし、お互いにアブノーマルな淫乱プレイを楽しむラブホで顔を合わせていたので、やや気まずさが残っていた。俺には、あの中年男は誰だろうという思いがあった。

 二人だけのラブホの秘密を共有していた俺と嫁は、そのことに触れなかったが親密になった。そして、嫁と仕事上で会える最後の機会であるイベントが終わった打ち上げの席で、

 俺は嫁にデートの誘いをかけて、嫁はそれを受け入れた。初デートでは、当然のようにあのラブホの話題になった。俺の相手は元カノで、嫁の相手は大学教授だった。

 嫁は女子大の短大部で、その女子大の教授に嫁が見初められて、教授の趣味の縄モデルになっていたのだ。大学時代と違い、俺はエロ本を見なくなっていたから知らなかったが、

 嫁は、素人モデルとして「某大学教授の縄奴隷」というA5版の出版物に掲載されていた。その本には、嫁の他もう一人、40歳くらいのお淑やかそうな熟女も載っていた。

 嫁も熟女も、目には太い目線が入っていたが、それでも嫁は可愛い女の子と分かったし、熟女は美人と分かった。

「これ、私なんです。高いモデル料に負けて、こんな痴態を晒したんです。」嫁はあまり裕福でない家庭に育ち、奨学金を借りて嫁は短大を、兄は大学を出た。

「身体で奨学金を返済した女でも、構いませんか?」
「あんな場所で何度も見かけているんだし、それは織り込み済みで誘ったんだよ。」
と言ったら、嫁は微笑んでいたが、出版物はかなりエグイ内容だった。

"ウブで可愛い生娘の女学生を緊縛"と書かれた写真では、見事なヌードを卑猥な開脚緊縛で晒していた。柔肌に縄が食い込み、Dカップが締め上げられてロケットのようになっていた。

 まだ処女だった嫁の全裸緊縛は6枚の作品が載せられていた。"18歳の女学生の処女膜を生肉棒が切り裂く"ベッドに大の字に拘束され、中年男の生肉棒を捻じ込まれ、破瓜の痛みに顔を歪める嫁。

 嫁には太い目線が入っていたが、中年男は顔全体が黒塗りだった。三脚に据えたカメラをリモコンで撮影しているのだろう、中年男に左手に小さなスイッチが見えていた。

 当時はまだフィルムカメラ、オートフォーカスの一眼レフを使っているようだった。嫁の股間も最小限の黒い線が塗られていたが、破瓜の血と膣外射精された男の精液にまみれた様子が哀しかった。

"まだ男を知らなかった頃の高校時代のセーラー服が穢されていく"高校時代のセーラー服、と言っても嫁の母校のではなく、昭和の香りがする紺と白いラインとスカーフのベタなセーラー服姿で緊縛されていた。

 可愛い顔した嫁は、リアルな女子高生に見えた。スカートをまくられ、黒く塗られてはいたが、肉裂を剥き出しにされ、セーラー服をまくられ、Dカップを締め上げられた嫁の姿。

 剥き出しの肉穴に突きささるバイブに歪んだ顔は、破瓜の写真のそれとは違い、明らかに快感に歪んでいた。そして、男の肉棒に跨って下から抉られ、白いスカーフをなびかせて、可愛い顔を虚ろにして感じていた。

 嫁の写真は、全裸、セーラー服、浴衣の3種類で、どれも極めて淫猥な情景に映っていた。単体緊縛が半分、男との辛みが半分だったが、男の肉棒で快楽に酔い痴れ、たその表情は、演技ではなかろう。

 もう一人の四十路美熟女の緊縛は、淫らな中にも哀愁が漂っていた。昭和の人妻風に地味な普段着にエプロン姿で緊縛されているのは、普通の主婦が夫の借財のカタにされているような悲哀が感じられた。

 美熟女の半裸緊縛は、薄幸な艶かしさが美しかった。嫁は、大学教授しか男を知らなかった。中年男のネットリとした仕込みと、緊縛SMによる被虐快楽で躾けられていたから、俺のテクでは物足りなかったかも知れなかった。

 でも、一つだけ、「あなたのおちんちんは、大きくて硬い・・・」と、中年のフニャチンに、そこだけ勝っていたようだった。嫁は約4年間、月2回、大学教授に若い身体を弄ばれていた。

 なぜ付き2回かというと、緊縛痕が肌から完全に消えるまで1週間はかかるとのことで、撮影を目的とすれば、最低2週間開けねばならないのだとか。

 嫁は、体つきも立原友香に似にてややムッチリ系、柔らかそうでそそる。嫁のクリ肉は虐げられて剥けきって拉げていたが、ビラ肉は意外に綺麗で左右対称だった。

 4年間弄ばれたとはいえ付き2回だから、年間24回として、4年で96回、回数は少なかった。しかし、肉穴はしっかり開発されていたから、中年のフニャチンでは届かなかった。

 バイブでしか刺激が得られなかった場所に届く俺の亀頭に夢中になった。騎乗位が好きで、俺に跨ってDカップを揺らした。普段の可愛い純情そうなお嬢さんはそこには無くて、正にリアルな立原友香のようだった。

 一見清純そうな可愛い淫乱女を嫁にした俺は、毎晩嫁を喘がせ、第一子妊娠時にアナルヴァージンをもらい開発した。だから、第二子出産時も禁欲生活には陥らなかった。

 年を重ねても可愛い嫁と28年仲睦まじく淫らに過ごしてきた。昨年、上の娘が嫁いだが、式も披露宴もできなかった。下の娘は就職先で感染対策に忙殺されているようだった。

 そんな昨年末、あの宮崎美子が再び水着姿を披露した。宮崎美子より10歳若い嫁には申し訳ないが、嫁は、顔も身体も宮崎美子に似ているなと思った。

 そう思ったら、昨年は52歳だった可愛くてエロい身体の嫁を抱ける幸せを感じた。そんな嫁の熟した女体を抱きながら、揺れるDカップを眺めつつ、きっと嫁も、62歳になってもそそる身体なんだろうなと思った。

 だから俺は、還暦を迎えても肉棒が現役でいられるように頑張ろうと思った。先日、知り合いの店にあった宮崎美子のカレンダーを見て、思い出して書きい綴ってみた。

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最終更新日 : 2023-03-01

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