結婚して10年の妻は、8歳年上の43歳です。妻は地元の女子大の元ミスキャンパスで、別嬪でスタイルも良し、数々の男を手玉に取ってきましたが、
妻の性癖に会う男性がなかなか見つからなかったようです。そんな時、妻の部署の配属された大学出たての私に、妻が指導員として付いたのです。
Sっ気の強い妻は、私のMっ気を見抜きました。私のマゾ性は、大学3~4年の時、バイト先の女性店長に受けた恥辱プレイで開花しました。
バツイチ40歳の女性店長に誘われて入ったホテルがSMホテルで、専用の開脚椅子にM字開脚に椅子に縛られ、陰茎から睾丸、肛門に至るまで凌辱されました。
徹底的に射精を焦らされ、アナルディルドで肛門開発を受けながら、我慢汁を溢れさせ、涙目で射精乞いをしました。
そして、射精してしまうと恐怖の射精直後の亀頭責めで悶絶、二度、三度と射精させられては亀頭責めを受け、体力を失い気絶寸前でした。
時には、店の取引先の女性の前で、陰茎を虐げられ、肛門を責められ、惨めに射精するショーをさせられたこともありました。
妻にMを見抜かれたとも気づかず、超絶に綺麗な大人の先輩社員に酔わされ、お持ち帰りされて、その見事なスタイルの女体の虜にさせられました。
8歳年上とはいえ、女優級の美人ですから、夢中になりました。調教は徐々に始まり、最初は妻の整理の日に、「可哀相だから、私がシコシコしてあげるから、チンチン出しなさい。」
と言われて、風呂場で全裸になって普通に抜かれました。そのうち、下半身だけ脱いで部屋で新聞紙の上に射精、射精後のシゴきに耐えられず暴れて、
次回から椅子にM時開脚で緊縛されて、亀頭責め&肛門調教されました。肛門で感じた私に、「あら、もしかして開発済みかしら・・・」
と、ここから本格調教が始まり、エネマグラで前立腺調教、無事、マゾ夫となりました。結婚してからしばらくは、妻の年齢を考慮して子作りでしたが、
その後は更なる肛門調教、数回射精しては亀頭責めされて、ついに男の潮噴きにまで到達しました。
その後更なる前立腺調教で、ついにトコロテン射精に到達、ここ数年は、陰茎を緊縛される調教を受けています。まずは私自身がM字開脚で緊縛されます。
ペニス緊縛専用の細めの縄があるんですが、その縄を睾丸にグルグルと這わされます。そして、二つの睾丸がそれぞれ独立するように、陰嚢の皮がピンピンに張るように、慎重に睾丸が縛り上げられます。
睾丸の緊縛ができたら、陰茎も縛られ、恥ずかしい男性器緊縛が完成します。血流が悪くなるので、血管が浮き出てビクビク脈打ちます。
尿道にプジーを挿され、更に惨めな男性のシンボルとなり、男のプライドはズタズタです。その陰茎を妻が筆でくすぐるのです。
「ハァン・・・アアッ・・・」まるで女の子みたいな喘ぎ声が出てしまいます。筆は亀頭、カリ、裏ズジ、竿、陰嚢と徹底的にくすぐられ、射精に至るには程遠い刺激に、泣きそうになります。
性器緊縛は長時間は良くないので、15分くらいで解かれ、プジーも抜かれますが、私は緊縛されたままです。解かれてもなお脈打つ射精を待つ陰茎は、亀頭責めの憂き目に遭うのです。
亀頭を苛められると、睾丸が動いてしまい、妻は亀頭責めからエネマグラで前立腺責めに移行しました。「イヒーーーーッ!」肛門からエネマグラで前立腺を突かれ、声が出てしまいます。
妻は、肛門責めに加え、睾丸も身を始めました。睾丸を摘ままれ、キョロキョロされて、イタキモに沈みます。睾丸を引っ張られながら、ついに絶叫します。
そして最後はエネマグラの刺激で、妻は陰茎に触れていないのに小刻みに震えながら、トコロテン射精するのです。
そして始まる射精後の亀頭責めに、私はもんどりうって暴れますが、緊縛されてて逃げられないのです。執拗に責められる亀頭は赤くなり、
再び勃起した竿を扱かれ二発目を射精、何度射精しても亀頭責めされて、男の潮噴きをするまで許されません。
最後、精液とは違う液体をピュピュピュと噴き上げ、「男のくせに潮噴いて、惨めだねえ・・・」と蔑まれながら、拘束を解かれてバスルームに駆け込むのです。
セックスは、妻の安全日だけです。ベッドに大の字に縛られた私は、騎乗位で妻が満足するまで腰を振られます。妻の中に射精しても抜かれることは無く、腰を振られます。
「もっと硬く勃起させなさい。フニャチンだとコックリングハメるわよ!」射精回数ではなく妻が逝くまでなので、どうしても高度が保てないほど射精してしまうと、コックリングを嵌められて強制勃起です。
妻が逝くと、「ああ・・・気持ち良かった・・・愛してるわよ・・・」とキスしながら、大の字拘束を解いてくれます。
美しい顔、見事なスタイルの妻ですが、その内股には私が何度も射精した精液が伝います。その姿を見ると、とても満足します。
満足した妻と一緒にお風呂にはいり、就寝するのです。
↓他のHな体験談を見る
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妻の性癖に会う男性がなかなか見つからなかったようです。そんな時、妻の部署の配属された大学出たての私に、妻が指導員として付いたのです。

Sっ気の強い妻は、私のMっ気を見抜きました。私のマゾ性は、大学3~4年の時、バイト先の女性店長に受けた恥辱プレイで開花しました。
バツイチ40歳の女性店長に誘われて入ったホテルがSMホテルで、専用の開脚椅子にM字開脚に椅子に縛られ、陰茎から睾丸、肛門に至るまで凌辱されました。
徹底的に射精を焦らされ、アナルディルドで肛門開発を受けながら、我慢汁を溢れさせ、涙目で射精乞いをしました。
そして、射精してしまうと恐怖の射精直後の亀頭責めで悶絶、二度、三度と射精させられては亀頭責めを受け、体力を失い気絶寸前でした。
時には、店の取引先の女性の前で、陰茎を虐げられ、肛門を責められ、惨めに射精するショーをさせられたこともありました。
妻にMを見抜かれたとも気づかず、超絶に綺麗な大人の先輩社員に酔わされ、お持ち帰りされて、その見事なスタイルの女体の虜にさせられました。
8歳年上とはいえ、女優級の美人ですから、夢中になりました。調教は徐々に始まり、最初は妻の整理の日に、「可哀相だから、私がシコシコしてあげるから、チンチン出しなさい。」
と言われて、風呂場で全裸になって普通に抜かれました。そのうち、下半身だけ脱いで部屋で新聞紙の上に射精、射精後のシゴきに耐えられず暴れて、
次回から椅子にM時開脚で緊縛されて、亀頭責め&肛門調教されました。肛門で感じた私に、「あら、もしかして開発済みかしら・・・」
と、ここから本格調教が始まり、エネマグラで前立腺調教、無事、マゾ夫となりました。結婚してからしばらくは、妻の年齢を考慮して子作りでしたが、
その後は更なる肛門調教、数回射精しては亀頭責めされて、ついに男の潮噴きにまで到達しました。
その後更なる前立腺調教で、ついにトコロテン射精に到達、ここ数年は、陰茎を緊縛される調教を受けています。まずは私自身がM字開脚で緊縛されます。
ペニス緊縛専用の細めの縄があるんですが、その縄を睾丸にグルグルと這わされます。そして、二つの睾丸がそれぞれ独立するように、陰嚢の皮がピンピンに張るように、慎重に睾丸が縛り上げられます。
睾丸の緊縛ができたら、陰茎も縛られ、恥ずかしい男性器緊縛が完成します。血流が悪くなるので、血管が浮き出てビクビク脈打ちます。
尿道にプジーを挿され、更に惨めな男性のシンボルとなり、男のプライドはズタズタです。その陰茎を妻が筆でくすぐるのです。
「ハァン・・・アアッ・・・」まるで女の子みたいな喘ぎ声が出てしまいます。筆は亀頭、カリ、裏ズジ、竿、陰嚢と徹底的にくすぐられ、射精に至るには程遠い刺激に、泣きそうになります。
性器緊縛は長時間は良くないので、15分くらいで解かれ、プジーも抜かれますが、私は緊縛されたままです。解かれてもなお脈打つ射精を待つ陰茎は、亀頭責めの憂き目に遭うのです。
亀頭を苛められると、睾丸が動いてしまい、妻は亀頭責めからエネマグラで前立腺責めに移行しました。「イヒーーーーッ!」肛門からエネマグラで前立腺を突かれ、声が出てしまいます。
妻は、肛門責めに加え、睾丸も身を始めました。睾丸を摘ままれ、キョロキョロされて、イタキモに沈みます。睾丸を引っ張られながら、ついに絶叫します。
そして最後はエネマグラの刺激で、妻は陰茎に触れていないのに小刻みに震えながら、トコロテン射精するのです。
そして始まる射精後の亀頭責めに、私はもんどりうって暴れますが、緊縛されてて逃げられないのです。執拗に責められる亀頭は赤くなり、
再び勃起した竿を扱かれ二発目を射精、何度射精しても亀頭責めされて、男の潮噴きをするまで許されません。
最後、精液とは違う液体をピュピュピュと噴き上げ、「男のくせに潮噴いて、惨めだねえ・・・」と蔑まれながら、拘束を解かれてバスルームに駆け込むのです。
セックスは、妻の安全日だけです。ベッドに大の字に縛られた私は、騎乗位で妻が満足するまで腰を振られます。妻の中に射精しても抜かれることは無く、腰を振られます。
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妻が逝くと、「ああ・・・気持ち良かった・・・愛してるわよ・・・」とキスしながら、大の字拘束を解いてくれます。
美しい顔、見事なスタイルの妻ですが、その内股には私が何度も射精した精液が伝います。その姿を見ると、とても満足します。
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最終更新日 : 2022-04-14